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赤坂ヒストリーPart.6

街が育んだ老舗と史跡めぐり

赤坂の地名の由来については、紀州藩中屋敷に沿った赤坂見附から喰違い見附まで続く坂のあたりに茜の花がたくさん咲いていて、茜坂が赤坂になったとか、周辺一帯の土が赤土だったからとか諸説がありますが、赤坂はいつの時代も上ったり、下ったりと坂の多い町でした。坂の上のお屋敷町の生活スタイルや、溜池沿いに発達した花柳界の文化などが赤坂の老舗を育んできました。高級、上品、華やか、繊細、きめ細やかさなどなど。これは赤坂の伝統となり、文化となって今に受け継がれています。まさに地形とライフスタイルが生み出した伝統、文化といえるかもしれません。

9405.jpg ●赤坂サカスへの通路も黒塀を意識

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●浄土寺のお地蔵さん
浄土寺は1503年に平河町で開基され、1572年に現在地に移転してきた由緒あるお寺です。ここの「銅造地蔵菩薩座像」は港区の有形文化財に指定され、町では浄土寺のお地蔵さんと呼ばれ親しまれています。

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●赤坂不動尊
858年に越後出雲崎に創始したと伝えられ、1600年住僧良台が赤坂一ツ木台地に移転し開山したと伝えられています。寺の名称を池見山阿遮院威徳寺といい、江戸時代には溜池を眺める絶景の地にあり、紀州徳川家の祈願寺でもあったと伝えられています。

路地の似合う町 赤坂・一ツ木

赤坂一ツ木通りの魅力の一つは路地にあります。路地には表通りとは違った表情をもったお店があり、一ツ木のまた違った魅力を私たちに教えてくれます。

路地と露地
路地を辞書で引くと、異口同音「人家の間の狭い道路」、その起源は露地に派生したものと解説されます。そこで露地を調べると、小間の茶室に付随する簡素な庭園のことであり、「原型は町屋の家と家とを結ぶ細長い通路・通り庭である」に行き当たります。通り庭には通風や採光のために坪庭が設けられ表通りと結んでいました。人家の間の狭い道路・路地は、そうした通り庭をDNAとする茶道の風情に共鳴する文化的演出であり、赤坂の街のなりたちでもあります。

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路地の一つ一つに違う顔があり、突然粋なお店が現れたりするのも、赤坂の魅力。
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港区はこれから数年をかけて、路地裏の道を石畳にするなど、
環境整備を行い、赤坂の魅力を増やそうと準備中。
数年後には、装いも新たに整備されて、赤坂の路地はもっと人気スポットになっているでしょう。

THE END