赤坂ヒストリーPart.2
老舗が育まれた、これまでの100年
赤坂といえば、高級飲食店や花街のあるはなやかなイメージですが、江戸時代は大名屋敷や武家屋敷がほとんどで、赤坂に料亭が登場するのは明治時代も後半になってからです。赤坂の街の成り立ちや赤坂料亭の発祥について紹介しましょう。
■赤坂花柳界発祥の地「溜池」
「溜池」はホタル飛び交う風光明媚な場所でした。周辺には景色を楽しむお客相手のお茶屋などができ、それが赤坂花柳界の始まりだといわれています。明治以降、軍人や政財界人の利用で、料亭や待合として発展。日清・日露戦争後には軍需景気を背景に大いに賑わい、明治時代後半には第一回の全盛期を迎えます。しかし、赤坂の花柳界を有名にしたのは、第2次世界大戦以後の経済も右肩上がりの高度成長の時代でした。黒塀の街には外車が列をつくって並び、その間を、芸者さんを乗せた人力車が行き交う風情漂う街だったのです。全盛期は昭和45年頃といわれ、そのころ芸者置屋は70軒、芸妓だけで400人以上もいたといわれています。