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赤坂ヒストリーPart.4

赤坂の伝統と文化赤坂の土地の記憶と匂い

赤坂鎮守の森 江戸七氷川筆頭 赤坂氷川神社

赤坂っ子の氏神さま
「厄除け」「良縁・縁結び」「家内安全」「商売繁盛」

古い文書によると、951年村上天皇の時代に一ツ木台地の古呂故ヶ岡(赤坂不動尊の辺)に祀られたのがはじまりです。それを8代将軍徳川吉宗公が現在地に現社殿を造営して遷宮し、自らの産土神としました。以後、歴代将軍の朱印状を頂き、赤坂地域の鎮守様として、赤坂っ子の尊崇を集めてきた赤坂の氏神様です。

広大な敷地には歴史を伝える宝物が沢山。

(左から)

●月岡芳年筆の「『ま組』火消し絵馬」とともに額堂内に6点の絵馬。
●天井画が見事な都重宝建造物のご社殿。
●天然記念物の大イチョウ樹齢400年の巨樹
●紀州家 櫓太鼓は今でも毎朝打ち鳴らされています
●現存する江戸型山車

江戸型山車は多くが失われ、現在、都内で残りわずか。赤坂氷川神社には完全な形ではありませんが、9台も現存しています。
江戸時代から伝わる赤坂の財産を長期的に修復し、今一度、赤坂氷川神社の祭礼にて山車巡行の復興を目指し、後世に伝えていきたいと赤坂氷川山車保存会が設立され再建に努めています。

粋な黒塀 江戸の墨
京都の五色(錦)、大阪の三彩、江戸の墨
京は華麗な錦。黒白緑黄赤の五色を使いながら上品にまとめるセンスの良さ。
大阪は唐三彩や織部焼に見られる三彩使いに由来し、三色を有効に使い、鮮やかに着こなす。

江戸の墨と四十八茶百鼠

江戸では黑が極上とされ、白に至る鼠色のグラデーションに茶と紺を加えたモノトーンを良しとします。即ち四十八茶百鼠。ちょうど、雀の羽の様に四十八色の茶色と黒から白に至る百色の鼠色こそ、江戸の美学だそうです。かつての日本家屋を見ると、屋根は甎で黒、板塀は茶色で、畳はベージュ。障子や襖は白ですから、住居も街も四十八茶百鼠で構成されていました。赤坂にもかつての黒塀の街並みを思い起こさせる意匠があちらこちらで見られます。


一ツ木通りからみすじ通りへ下る路地に
「やげんぼり」の黒塀


みすじ通りに
黒塀のたたずまいを残す「金龍」


一ツ木通りに面した
住友不動産新赤坂ビルの壁は黒屏風